創業者 佐多保之

昭和26年(1951年)、創業者佐多保之は義兄の三宅博 博士(当時九州大学第一外科教授)から知らされた、米国フォレガー社の手術用麻酔器のカタログに目をひきつけられました。

「アメリカでは戦後まもなく、麻酔学が大変発達したことを聞いていた。ところが当時の日本では、まだそうした手術方式が普及していなかった。その結果、手術によって失われる人命も少なくなかった。アメリカの医療機器を輸入する仕事は日本のためになる、なんとすばらしい仕事だろう。自分は医者だけれども、患者を一人一人診て救うよりもむしろ医療機器を通してたくさんの人命を救いたい」と創業者 佐多保之は自伝の中でこのように語っています。

医学博士 佐多保之

医学博士 佐多保之

1914年6月16日生まれ。1938年、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)を卒業。同年、軍医として召集され、1943年には大尉として南方戦線に赴き、インド洋のカーニコバル島で終戦を迎える。シンガポール近くのレンパン島での半年余りの収容所生活を経て、1946年、戦争の最前線から帰還。

復員後は大阪大学医学部・今村研究室で研究生活に入り、1949年結核関係の論文にて医学博士を授与される。この時期、大阪医科大学(現・大阪大学医学部)学長であり、病理学者でもあった父愛彦より大阪血清薬院の経営をまかされるが、1951年戦後の著しい困難のなか閉院のやむなきにいたる。同年、友人の兄が経営する田村駒株式会社が、米国E.R.スクイブ&サンズ社と日本総代理店契約を結び、その薬品部門開設に伴って薬品部長として招請される。

1955年、資本金100万円をもって港区芝田村町赤門ビルに、東京機械貿易株式会社を設立。1970年に社名を株式会社東機貿に変更し、1972年には港区東麻布に本社ビルを竣工。またこの年、構想期より携わっていた財団法人腎研究会の設立とともに監事に就任。その後は、社業の拡大によって日本全国に営業拠点を築き、さらに、海外への布石として米国カリフォルニアをはじめとする関連会社を設立し現在にいたる。

1993年2月4日、多くの人々から惜しまれつつ世を去った。
享年79歳。佐多保之が東機貿で育んだのは、「よりよき明日の医療」へのあくなき探究であり、また一貫して「誠実」を旨とする人間教育であって、それは今もひとりひとりの社員に脈々と受け継がれている。

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